ラーメンっていったい何だろう? 要素と歴史を押さえればラーメンの“今“が見える!

日本ではすでに国民食として定着し、更にアメリカを含む海外でも知名度を増しているラーメンですが、何をもってラーメンと定義するかと問われると、日本人でも答えに窮してしまうかもしれません。また、その成り立ちについても案外知られていないかもしれません。その一例として、日本人がラーメンを中国発祥の食べ物と認識している一方で、中国人がラーメンを「日式拉麺」と呼び日本食として受け入れているといった認識の食い違いも目にします。また「豚骨」「醤油」「味噌」を皮切りに多様なスープや麺のバリエーションがその定義を曖昧にしているかもしれません。今回はそんなラーメンの定義をまずは押さえつつ、その生い立ちを紐解くことでラーメンのさらなる魅力に迫ってみたいと思います。この記事があなたのラーメン体験を豊かにする手助けになればうれしいです。

  • 目次

 

■ラーメンを構成する5つの要素

まずは定義を押さえるうえで基本となる、ラーメンのレシピを調べてみましょう。実はラーメンには決まりきったレシピは存在しないのですが、その代わりにラーメンを構成する5つの要素が存在します。まずはそれらの要素をご紹介します。


  1. 他の麺料理とラーメンを区別するにあたって、最もわかりやすいのが麺かもしれません。というのもラーメンに使用する中華麺は製造過程において小麦粉に「かん水」を使用することが前提になっているからです。このことがパスタやうどんを含む他の小麦を使用した麺と異なる独特のコシや黄色い色味をもたらし、ひいてはそれがラーメンの大きな特徴となっています。

    この点が一致してれば、麺の太さのバリエーションや麺の縮れ具合、茹で時間は数あるラーメンのバリエーションを構成する一つの要素に過ぎないことが理解できます。

     

  2. 出汁
    実はラーメンのスープは「出汁」と「タレ」、ラーメンのタイプによっては「脂/油」という3つの要素を加えることによって作られます。よってここではそれぞれ個別の要素としてご紹介させていただきます。

    まず出汁についてですが、主な出汁の原料は豚骨・鶏ガラ・牛骨などの動物素材、昆布・煮干し・えび・鯛などの海鮮素材、タマネギ・長ネギ・生姜・ニンニクなどの野菜素材で、これらがお店の特色に合わせて独自に組み合わされて提供されます。
    また、原材料とともに重要なのが出汁の取り方です。大きくは強火で長時間煮込み、濃厚な味と風味を持つ「白湯出汁」と、濁りを出さないように沸騰寸前の温度以下で仕込む「清湯出汁」とに分かれます。白湯出汁は豚骨ラーメンで用いられ、清湯出汁は醤油ラーメンで用いられることが多いです。

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  4. タレ
    タレもラーメンの味を決定する重要な要素です。基礎となる味の調味料に、香辛料や他の調味料や素材を混ぜ込んで作られます。中でも醤油ダレ、塩ダレ、味噌ダレが一般的です。

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  6. 脂/油
    一部のご当地ラーメンでは、脂/油を使用することが特徴となっているものもあります。これはうま味を追加するとともに、スープが冷めないようにふたをするという役割もあります。使われる脂/油は、ねぎ油、マー油、辛味油、ラードまたは焼きラード、鶏油、エビ油が挙げられます。

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  8. ラーメンに用いる具材は多様ですが、多くの場合は提供されるご当地ラーメンのスタイルと関連しています。以下に代表的な組合せをご紹介します。

     

    • 東京ラーメン(醤油スープ)
      メンマ、刻み葱、チャーシューが添えられることが多いです。更に板ノリ、ほうれん草、半熟卵が添えられるケースもあります。
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    • 博多ラーメン(豚骨スープ)
      ネギとチャーシューは共通していますが、きくらげが使用されている点が異なります。ネギも通常のネギではなく小ネギが使用されます。白ごま、紅ショウガ、辛子高菜がテーブルに置かれていて好みに合わせてトッピングする点も大きな特徴です。
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    • 札幌ラーメン(味噌スープ)
      元来のチャーシュー・メンマ・ネギなどの他に、タマネギ・キャベツ・モヤシなどの炒めた野菜を載せるのが定番となっています。

 
ただし、上記の具材はあくまで代表的なもので、地方の特性や店舗の特徴によって様々な具材が選ばれ、それがラーメンのバリエーションをさらに豊かにしています。

これら5つの要素をどんぶり内で自由に組み合わせることによって生まれた様々なバリエーションは、すべてラーメンと呼んで差し支えないと思います。実際に現在の日本では上記5つの要素を踏まえつつ各地の地方色を反映して生まれた「ご当地ラーメン」が数多く生まれ、日本国内の豊かなラーメン文化を育んでいます。現在世界中で人気の豚骨ラーメンも、もとは九州で生まれたご当地ラーメンがルーツにあります。このような自由度の高さがラーメンの面白さでもありややこしさでもあるのですが、今回紹介した5つの要素を意識してラーメンを味わうことで、自分好みのラーメンをより探しやすくなるかと思います。
 

■ラーメンの歴史

現代のラーメンを構成する要素を把握したところで、次は日本でのラーメン誕生から現在の世界を股にかけるラーメンブームまでの歴史を紐解いて理解を深めていきましょう。あなたが今目の前にしているどんぶり一杯のラーメンに秘められた紆余曲折の歴史に、きっとあなたは「なるほど」と思わずにはいられないでしょう。

     

  • 日本で初めて食べられたラーメンとは?
    室町時代に僧侶が残した「蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)」という日記の中に、中国の書物で「経帯麺」を調べたのちにそれを食した、という記述があります。この「経帯麺」が現在のラーメンの麺と同様に小麦粉とかん水を材料として用いていることから、これが日本で食べられた初めてのラーメンである可能性が示唆されています。

    また、日本では知らない人はいないと思われる徳川光圀(“水戸黄門”の名前で日本人にはお馴染み)が中国から招いた儒学者の朱舜水が作った汁そばを食べたという説もあり、この汁そばをラーメンとする説もあります。

    ただしいずれにも共通するのは、限られた上流階級のみが食することのできるメニューであった点です。残念ながらラーメンが広く庶民にも受け入れられるようになるには、もう少し年月が必要となります。

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  • 今日のラーメンのルーツ?「来々軒」の醬油ラーメン
    時代は下って明治時代に入ると、鎖国が解除されたことも相まって横浜や神戸、長崎など日本の港町に中国人が進出して中華街が誕生します。そうした中華街でオープンした中国料理店は初めはコース主体の高級料理をメインに提供していましたが、中国人留学生が増えるにつれて大衆向けの中国料理店も増加していきました。そうした店で提供される中国の麺料理(日本人は「南京そば」と呼んでいました)は安くてうまいと評判になり、徐々に日本人もその味を知ることになります。その過程で「南京そば」は「支那そば」と名前を変えていくこととなります。当時の日本人は「南京」や「支那」といった呼称を「中国の」あるいは「外来の・舶来の」といった意味合いで使用していたと思われます。

    その当時中国料理店で提供されていた支那そばはこってりとした塩スープの味付けだったようですが、そのうち日本人の好みに合わせてあっさりとした味付けで支那そばを提供しようと考えた店が登場します。それが明治43年(1910)に東京浅草に開店した広東料理店の「来々軒」です。そこで提供された支那そばは、あっさりした醤油味のスープにかん水を使用した細めの縮れ麺、トッピングはチャーシュー、メンマ、ネギといったものでした。これが今日のラーメンの原点と呼ばれているもので、現在「東京ラーメン」と呼ばれているものはこのスタイルを色濃く踏襲しています。

    こうして生まれた支那そばは、1杯6銭(現代では300円程度)と値段も手頃で、多い日には1日で3,000杯を提供したというほど繁盛したそうです。これが日本初のラーメンブームと呼ばれています。こうしたブームを背景に東京では「支那そば」を提供する店が増え始めました。ここで注目したいのは、まだこのメニューは「ラーメン」とは呼ばれていなかったということです。

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  • ラーメンに影響を及ぼした2つの出来事
    来々軒での支那そば人気に影響を受けて大正時代には東京や横浜を中心に数を増やしていたラーメン店(当時はその呼び名はなかったと思いますが)ですが、1923年に発生した関東大震災によりその多くが甚大な被害を被りました。このことが原因で、まず東京周辺で住居を失った中国人が地方の中小都市に移り支那料理店を開くケースが増えました。このことが今日の日本国内でのご当地ラーメン隆盛の礎になっていると考えることもできます。また、手軽に始められる「ラーメン屋台」も増えました。多くの屋台はメニュー数を絞る必要があったため、このことが今日のラーメン店の専門店化につながったとも考えられます。

    こうして大きな自然災害を乗り越えたラーメンの行く手に待ち構えていたのが、第二次世界大戦です。第二次世界大戦が激化すると多くのラーメン店が閉店を余儀なくされます。しかし、戦後には焼け野原となった各地でヤミ市が生まれ、そこでラーメンや餃子の作り方を習得した中国からの引揚者によって再びラーメン屋台が増加し、「うまくて安く高カロリー」なラーメンは全国的な人気を得るようになります。米軍から小麦粉の配給があり入手が容易だったこともラーメンの普及を後押ししたようです。

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  • ラーメン認知拡大のきっかけを作った2つの発明
    多くの苦難を乗り越え、次第に人気を高めていった「支那そば」ですが、戦後になり名称に含まれる「支那」が中国の蔑称だという考えが広まって自粛するようになると、代わりに「中華そば」という名称が使用されるようになりました。ただしこの時点ではまだ「ラーメン」という名称は世に生まれていません。それでは、「ラーメン」という名称はいつ世の中に広まったのでしょうか?ラーメンという呼び方が日本で広まったきっかけは、1958年(昭和33年)に日清食品創業者の安藤百福が開発した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」であるといわれています。安価でおいしいチキンラーメンは爆発的な人気を呼び、ちょうど普及し始めたテレビでCMが流れたことも相まって、それまで「支那そば」「中華そば」と呼ばれていたものが、一気に「ラーメン」という呼称で全国的に認知されるようになったのです。

    チキンラーメンがなぜ「ラーメン」という名前を採用したのかは定かではないのですが、ラーメンの語源には諸説あります。その中でも有名なものをいくつか紹介します。

    • 中国西北部に位置する蘭州の麺の一種「拉麺(拼音: lā miàn ラーミェン)」が由来という説。中国語の「拉」とは「引っ張る」という意味です
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    • 老麺(ラオミェン)を由来とする説。老麺は発酵生地を指します。
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    • 1922年(大正11年)北海道札幌市に開店した「竹屋」という食堂が由来という説。そこで店主の妻が厨房の中国料理人が大声で「好了(ハオラー)」(”出来上がったよ”という意味)と発声するのを耳にして、それをヒントにそこで提供されていた「肉絲麺(ロースーメン)」に対して「ラーメン」という名称を考案したそうです。

     

     
    チキンラーメンの普及とともに日本国内で全国的な認知を得た「ラーメン」ですが、ラーメンが世界的な認知を得るきっかけとなった出来事を考えると、世界初のカップ麺であるカップヌードルの存在を抜きにしては考えられないと思います。カップヌードル開発のきっかけは、前述のチキンラーメンの開発者である安藤百福がチキンラーメンの日本国外進出を目指してロサンゼルスのスーパーマーケットへの売り込みをかけたことに端を発します。ところがアメリカには手近にラーメンを食べるために必要な箸や丼がないという事実に安藤は気づかされます。しかしアメリカ人バイヤーがチキンラーメンを砕いて紙コップに入れ、これに熱湯を注いでフォークで食べたことをヒントとして、安藤はラーメンが丼と箸にとらわれずに日本国外進出する事を見据え、いつでもどこでも食べられる容器入りのインスタントラーメンの開発を思い立ちました。こうして様々な工夫を重ねた後、1971年(昭和46年)9月18日にカップヌードルは発売され、今では世界100カ国で販売されるまでに至っています。ラーメンが日本そして世界で大きく認知されるきっかけを作ったチキンラーメンとカップヌードルを開発した安藤百福は、まさに「ミスターヌードル」と呼ばれるにふさわしい偉大な業績を残したといえるでしょう

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  • 現代、そしてこれからのラーメン
    こうして長年にわたり庶民の味として親しまれてきたラーメンですが、近年では手の込んだスープ料理としてのラーメンの価値が見直され、日本ではミシュランガイドに掲載されるほどの実力店も出てきています。また、日本から海外に進出を果たしたラーメン店も現地で人気を博しています。「アニメやマンガの影響」や「高品質の接客サービス」「奥が深く職人気質のグルメフードとしてのイメージ」など人気を博している理由はいくつか考えられますが、やはり一番本質的な要素はスープが持つ旨味(Umami)が海外でも評価されていることにあるのではないでしょうか。

    一方、カップヌードルに端を発したインスタントラーメンの世界進出も、今や本国日本よりも中国やインドネシア、ベトナム、インドで多く消費され、年間合計約1,000億食が世界で消費されるほどのグローバルフードとなりました。その理由は各国のメーカーが自国の麺食文化や味(例としてインドネシアのミーゴレンやタイのトムヤムクンなど)をうまくラーメンに取り込んだことによって、国内で多くの人にインスタントラーメンが受け入れられたからです。それは奇しくも中国の麺料理をもとに自国民の味覚に合わせようと努力を重ねた、来々軒の支那そばを彷彿とさせます。また、先に述べたようにラーメンを構成する5つの要素を押さえていればラーメンとして成り立つというその自由さが、世界の多様な麺食文化と容易に融合して多くのバリエーションを生み出していったのも想像に難くありません。

     
    さて、これからラーメンはどこへ向かうのでしょうか?まず、ラーメン店においては現地の気候、風土、食文化と融合しその国又はエリアに支持される「世界のご当地ラーメン」が誕生してくると考えられます。すでにインスタントラーメンでは現地の味覚が取り入れられた商品が開発され広く受け入れられており、また「ラーメンバーガー」「ラーメンピザ」「ビリヤラーメン」など現地ならではの新たなラーメンの食べ方が考案されているのも最近は目にします。こうした流れを踏まえて、日本人が想像もつかないようなご当地ラーメンが世界中で誕生するのも時間の問題かと思います。

    一方、家庭で食されるラーメンもインスタントラーメンにとどまらず進化し続けると考えられます。その一つの方向性として、「ラーメン店で食べられる高品質な味を可能な限りお手軽に自宅で再現する」というニーズに応えることがあります。現在こうした家庭用ラーメンの品質向上のため各社がしのぎを削っているのですが、Myojo USAでもそうした要望に応えるべく(インスタントラーメンの乾燥麺とは異なる)生麺タイプのラーメンを多数取り揃えています。もし未食でしたら、ぜひ最近の家庭用ラーメンの進化をあなたの舌で確かめてみてください。

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■結論

これまでに述べたことをまとめると、まずラーメンは中国の麺料理に影響を受けた日本食であるということが言えます。ただし、その自由度の高さから日本中あるいは世界中のあらゆる人々の嗜好性を吸収して日々進化する食べ物ととも考えられ、その枠はもはや日本食の範疇にとどまりません。ラーメンを愛する人々がいる限り、世界中のどこかで今日も新たなラーメンが生まれているかと思うとわくわくします。世界中に広がるラーメンネットワークに今後もますます目が離せません!

 

参考:

Wikipedia:ラーメン
Wikipedia:来々軒
新横浜ラーメン博物館
ラーメンの歴史と現在  – 農林水産省 — Google Arts & Culture
ラーメンと中華そばの違いって? 実は時代で変わる呼び方の違い/毎日雑学 | ダ・ヴィンチニュース
日本が誇る「ラーメン文化」最初に食べたのは水戸黄門? 日本人とラーメンの歴史 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン
日本上陸から130年!!らーめんの歴史
中国の麺料理に起源を持つ日本食ラーメンの歴史 │ ヒトサラマガジン
ラーメンの歴史は明治維新後にスタート! 日本の食と歩み、世界に広まるまで – BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
世界ラーメン協会
Wikipedia:チキンラーメン
Wikipedia:カップヌードル
ラーメンからRAMENへ――進化を続ける日本育ちの麺料理 | nippon.com
【袋ラーメン】アメリカ人たちがホントにやっているインスタント袋ラーメンのハック集【その発想はなかった】